2019/04/21

「高齢者は車の運転を止めるべき?」「周りはどうやって止める?」について、うちの父のお話。

87歳の高齢者の自動車運転による交通事故のニュースと特集を見て、高齢&病気で、車の運転が大好きだった父のことを思い出しました。

父が亡くなって2年になります。車は生活の必需品で、スーパーへの買い物や駅までの家族の送り迎えなどでほぼ毎日、車を運転していました。母は車を運転できなかったので、定年退職して父が果たせる大事な役割であり、家族もそれを必要としていました。

ところが75歳で悪性リンパ腫になり、病気の進行にともなって体が衰弱し、普段からボーっとしている時間が増えて判断力が鈍ってきたように感じました。
「お父さん、車の運転はもう危ないんじゃない?」と家族で話すようになりましたが、それでも父は、「まだ大丈夫だ、運転はできる!」と言い張っていました。その2週間ほど前、私は自分の運転免許証の更新場所に行くため、父に車で送り迎えをしてもらったところ。父が車を運転しないとなると、家族もかなり不便な生活を受け入れないといけません。

それである夜、警察官である義兄と姉とで「お父さんに話がある」と真剣に父と向き合って話し合う時間を作りました。
「今のお父さんの状態では、車を運転するのは危ないと思う。足の力も弱っているし、もし事故を起こして誰かにけがをさせたら、自分だけの問題じゃなくなるから。皆、心配しているんだよ」という姉の言葉を黙って聞く父の姿を見るのは、私もとても辛かったです。
病気の回復を信じて治療する父にとって、車の運転は「自分はまだ大丈夫だ」と思える証しであり、また体が弱って周りに世話をかけている立場でもまだ家族の役に立っているという誇りでもあったのではないかと思います。姉夫婦はその日、父の運転免許証を預かりました。私は父に「また元気になったら運転すればいいよ」と精一杯の気持ちで言葉をかけました。父が亡くなる一か月前のことでした。

振り返ると、やっぱり、父が最期に車の運転をしなくてよかったと思います。亡くなる前にもし事故を起こして誰かが亡くなっていたら。父の命だけでは済まなかったら。今の現実はもっともっと違うものになっていたはず。今回目にしたニュースで事故を起こした87歳の人、亡くなった人のご家族のように。家族が亡くなる悲しみと喪失感を知っているからこそ、そう思います。間違っても、自分が、それか家族が、その悲しみを誰かにもたらす立場になるなんて想像したくもありません。あの事故を起こした人のご家族も「自分たちが止めていれば!」と悔やんでも悔やみきれない気持ちでいることでしょう。

車が日常生活に欠かせない人はたくさんいて、特に高齢の人はなおさらだと思います。だからこそ、免許証を手放せない高齢者の事故も増えているのでしょう。

けれど、車の運転は自分が思っている以上に高度な能力が必要で、
100キロ以上のスピードで移動できるあんな大きな物体は、間違えば凶器にもなる。


車を運転しない自分と生活を受け入れるには、家族の説得と、本人の勇気が必要で。
本人が決められないなら、「そろそろ、車の運転はしないほうがいいんじゃない?」と周りが本人に真剣に話せるような関係も大事。

70歳を超えたら1年か半年に1回ぐらい運転能力を判定するテストをして、合格した人だけが乗れるようにしてはどうかな?

それか、ヨーロッパのように、自動のスピード制限置や誤運転(バックなど)防止システムを備えた車に乗ることを義務付ける。(ヨーロッパでは2022年から販売の車にこのような安全装置の標準装備が義務づけられるそうです)

こっちで普段バス通勤をしていて、夫にたまに車で会社まで送ってもらうと「なんて楽なの!」とやっぱり思うけど、車にあんまり頼りすぎない生活を送れるようにするのも大事なんだろうなと思います。

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