ご主人のこれまでの人生(生い立ち)についての話をおききしたときに
「今ある現実の中で、それを活かして最大限の力で取り組むこと」
の大切さを思いました。
ご主人はもともと、東京中に10軒以上の店舗を持つ和菓子屋さんのご長男でしたが、
戦争で全てが焼かれ、戦後も砂糖や小豆など材料が調達できず、
商売を立て直すことができなかったそうです。
その日の食べ物にも困る状況の中、長男であるご主人は
土方などの肉体労働はじめ様々な労働をして家計を助け、
その後東京の大学に入り、研究者になられ海外で活躍されました。
だから、もし戦争がなかったら、今頃は日本で有数の和菓子屋さんの
オーナーになられていたかもしれません。
この話をきいたときに思ったのは、
戦争は当然、起こらない方が良かったし肯定などできないけれど、
けれど事実として、戦争で状況が一変したから、今のようなご主人の人生が形成された、
という見方もあるのだなぁ、ということ。
戦争があったからではない。戦争であろうと、どのような現実に見舞われようと、
今ある状況でできることに、全力でエネルギーを注いでこられた。
そしてふりかえれば結果として、戦争、戦後という現実の大地でさえも、
自分という花を咲かせ、大きな実を結んだということ。
私もそのようにありたい、と思いました。
私が結婚してカナダに来たのは自分の選択だったけれど、
自分が人生のほとんどを過ごし、居場所があって言葉が不自由なく通じて
勝手知ったる日本を離れてカナダに来てから、何度、思ったことか。
「日本だったら、○○ができるのに」
「日本だったら、もっと自信を持てるのに」
「日本だったら、もっと etc...」
考えても仕方がないと分かっているつもりでも、
思い通りに行かないことが起こったときやふとしたとき、こんな気持ちが顔を出します。
ただ、今、自分が実際いる場所は日本ではないということ。
これからも当分、日本ではない予定。(たぶん)
その現実の中で、あるときふと思いました。
今生の私で送る人生は、たったの一回しかない。
日本にいたらベストな人生が送れるけれど、
これはセカンド・ベストな人生なんだ、と思いながら
この先ずっと過ごしたいか?
これって、場所だけでなく、様々な状況でいえることかもしれない。
「もし今、お金がもっとあったら」
「もし今、自由な時間がもったあったら・・・」
「もしもっと若かったら・・・」などなど。
一番の思い(願望)通りではない二番手の現実にあるという状況は
誰にでもあてはまるかもしれません。
住む場所や年齢や人種や外的な環境などは、自分の力では変えられない。
変えられるとしたら、自分の気持ちと自分のこと。
いつかこの世を去るときには
「この自分にできうる最高の人生を送ることができたな」
と思いたいです。
そのために言い聞かせてきた
「今ある場所で花を咲かせる」という言葉を
様々な場所と環境で過ごされてきたご夫婦とお話をしながら
改めて思い出しました。
戦後の焼け野原の日本でもたくさんの花が咲き乱れて今がある。
冬に雨続きでも、その水分で春には緑と花でいっぱいになるバンクーバーのように。
「花咲かしーさん」になろうと思います。